義兄と私 ―眠れない夜―


いくらベッドの寝心地がよかろうとも眠れない夜は眠れない。

無駄に朝が早い私にとってそれは非常に困るのだが、何より困るのはいらないことを思い出してしまうこと。

こんな時に本当の家族が生きてさえいたら、側にいてもらえるのになー。

せやけど、亡くしたものを求めたってしゃあないよな…



どういうわけだかわからないのだが、跡部さんちに引き取られてからの私は
生活が安定しすぎてるほど安定しているというのに寝つきが悪いことが多くなった。

まー、元から眠りが浅いタチな上、多分養女という立場のせいで
緊迫しているからだろうが。

あの義兄殿のせいもあるけど、何せここんちのお母さんとお祖母さんは私を
引き取るのに大反対してたらしーからなー、あんましボロ出さないように必死だし。

…って、そんなくだらん私事を聞きたい人はおらんわな。

それはともかく、今日も私は眠れなくてずっとホワホワのベッドの中で
寝返りばかりうっていた。
何とか眠ろうと努力するのだが、こういう時に限って余計目がさえてしまうというのが
世間様の常識である。

しかもこういう本来、人が寝静まっているような時間帯に目を覚ますとロクなことが頭に思い浮かばない。

現に私の頭の中には本当の家族が死んだ日のことや、自分で葬式の切り盛りをした時のことやら
親戚がたらいまわしにしたことやら嫌なことばかりめぐっていた。

「こらあかんっ!!」

とうとうにっちもさっちもいかなくなって私はがばっと身を起こした。

部屋の時計は真夜中を指している。
うーむ、困った。どないしょう。

私はベッドの端に座り込んで(ちなみに胡坐)しばし思案した。

起きて勉強するか、それともパソコンでゲームでもするか…
少なくとも前者は却下かな。
しかし良く考えてみたら夜中にパソコンカタカタやっとったら義兄殿が
聞きつけて説教しかねない。

それは御免こうむりたいな。

…結局どうしたものかわからず、私はとりあえず下に降りて水でも飲むことにした。

パジャマの上から上着を羽織ってスリッパに足を通すと、私はそっとベッドから降りて自室のドアを開けた。

うまい具合にほとんど音を立てずに廊下に出ると、辺りは(当然だが)
薄暗くて不審人物が潜むのにはもってこいの状態だ。

物騒な発想はともかく、私はその薄闇に向かってそぉっと足を踏み出す。

間違っても音を立ててはいけない。

私は更に歩を進める。

ここまでは何とか誰も起こさずにクリアー。で、しばらくして最大の難関にさしかかった。

即ち、義兄の部屋の前、である。

これは本当に大変だ。
うっかり音を立てたら義兄は絶対起きてくる。

そうなったらどーなるかというと、義兄は夜中に起こされて不機嫌全開の顔、
そんでもって有無を言わさず私を引っ掴んでベッドに乱暴に放り込む。
しかも不機嫌面は次の日の朝まで持続され、更に加えて朝御飯の席でブチブチと厭味攻撃ときている。

それだけは勘弁だ。
(大体、義兄の力でベッドに放り込まれると衝撃が痛いんである。)

そろりそろりと私は用心しいしい歩き出す。
音を立てないよーに、転んだりしないよーに。

1歩、2歩…ドアの三分の一ほどを通過。
3歩、4歩…半分通過。
5歩、6歩…よし、完全通過まであともうちょい!

ここまで来て義兄が動いた気配はない。
結構、結構。このまま移動しよ。

私はそのまま無傷で義兄の部屋を完全通過しようとした。
が、義兄がらみのことでは運命は私にいつも過酷なのであることを迂闊にもすっかり忘れていた。

ガチャッ

背後でした音に私は思わずヒッと呟いてしまった。

「何がヒッだ、アーン?」

だって寿命メーターが今確実に下がったもん!
…などと言う訳にはいかないだろうか、やっぱ。

「にーさん、寝てたんやないの?」

私ゃ完璧に音を立ててなかったハズやのに、とは言わない、絶対に。

「バーカ、音はなくても気配丸出しだ。俺様の安眠を妨害しやがって、このバカが。
一体こんな夜中に何やってやがんだ?」
「えーと…」

私はボショボショと事情を説明し、ついでに義兄の首を取りにきたんではないことを
付け加えた。
どうせ、「ガキみたいなこと言ってんじゃねーよ、さっさと水飲んで寝ろ」と言われるのがオチだろうが。

「ハンッ」

案の定義兄は馬鹿にしたように鼻で笑った。

「お前は本当にどうしようもねーな、。」

五月蝿い。私だって色々あるのだ。

「おら、行くぞ。」
「ふぇ?」

義兄に背中を押されて私は間抜け声を上げた。

「えーと…」
「水飲みに行くんだろ。さっさと歩け。」

まるで看守が囚人に言っているような口調で義兄は言って私を引っぱった。

私は予想を裏切る展開に頭がついていかないまま
暗い廊下を義兄に引き摺られて歩いた。



義兄に連れられて私は台所に行った。

「さっさとしろよ。」

義兄は言って台所の電気をつけると、自分は扉にもたれて腕を組む。

私は手近の棚にあったガラスコップを引っ掴んだ。
もしかしたら上等のヴェネチアングラスのやつかもしれないがこの際そんなことには構ってられない。

流し台に行くと水道の栓をひねってコップに水を満たす。
それで一気にゴクゴクと飲み干した。

「ウググ…」

いかん、空気まで飲み込んだらしい。

「おい…」

珍しく義兄が心配そうに声をかけてくる。

「大丈夫。」

私は言ってもう一度コップに水を満たした。
それも一息で喉に流し込む。

ちょっとはマシになったかなー。

「終わったで。」

コップを片付けてドアにもたれていた義兄に声をかけると、
この人はおもむろにドアから離れて電灯のスイッチを切ると先に立って歩き始めた。

私は慌てて後を追うが、何分暗くてよく見えない。
…何か、嫌や、この感じ。

「にーさん、」

私は思わず不安の色が濃い声をだした。

「待って…どこかわからへん。」

次の瞬間衣擦れの音がして、私の手首の周りの温度が上がる。

「離れるんじゃねーぞ。」

義兄の声がした。

「朝になってから探すのは御免だ。」

私はうん、と掠れ声で呟いて義兄に手を引かれるままに歩いた。

うちの義兄殿はこんなに親切さんやったやろか、と思いながら。



義兄はそのまま台所から私を部屋まで連れて行ってくれた。

「ありがと、にーさん。ほな、私寝るわ。おやすみ。」

ドアの前で私は義兄に言って、部屋に入る。

…………………………………。
って、ちょっと待てや!!

「…あのー、」
「あんだ?」
「何でにーさんまで一緒に入ってはるんですか?」
「兄が妹の部屋に入っちゃ悪いのかよ。」

ええと思とる(おもとる)んかい、お前は!!

「おら、グズグズ言ってねーでさっさと寝床に入れ。」
「うおぅっ?!」

ボスッという音と共に私はベッドに放り込まれた。

ちっ、結局こないなるんか。

「にーさん、私を小包かなんかと思てへん?」

布団にもぐりこみながら私は言う。

「小包の方が余計なことを言わねぇ分上等だ。」

で、何で私のベッドの端に座っていらっしゃるんですか、あなたは?

私のあからさまに疑問符を浮かべた顔に気がついたのか、
義兄は優越感半分、自嘲半分の笑みを浮かべた。

「どうせこのまま1人にしたら眠れねーんだろが。俺様がとっておきの話をしてやる、
それ聞きながら惰眠を貪ることだな。」

私がキョトンとしたことは言うまでもない。

何かあったんですか、にーさま?

「ある所に男がいた。」

私の思うところなぞ知らず、義兄は昔話でも語るような口調で話し始めた。

「そいつには惚れてた女がいた。思い切り遠距離恋愛ってやつだったけどな。」

何だ、いきなし何の話だ???
私は布団の中で首を傾げる。

「ま、住んでるところはまるっきし違ったが2人ともお互い惚れあっていて、
何の問題もなかった。
ただ、女の方は元から体が弱かった。具合を悪くすることなんざしょっちゅうだ。
男は余裕かましながらも気が気でなかった。自分の大事なものを
失うんじゃねーかってな。」
「にーさん?」

義兄は私の声が聞こえていないのか、私の方を見向きもせずに目を閉じた。

「そんなある時、女の方から男の方に連絡が入った。具合を悪くして入院したんだ。
女は心配するな、とよこした。いつものことだし、すぐに退院できるからって。
だけど男は何となく嫌な予感がしていた。女の具合が悪くなるのはしょっちゅうでも
それまで入院したことなんかなかったからな。で、結果は、」

義兄の目がすぅっと開いた。

「まさか…」

私は呟いた。

「ああ、そうだ。」

義兄はまるで消え入りそうな寂しげな笑みを浮かべた。

「男の嫌な予感は皮肉にも当たった。女は、入院して一週間も経たない内に死んだ。
男はショックで立ち直れなかった。後にも先にもその女ほど惚れてた奴はいなかった上に、
死に目にも立ち会えなかったからな。で、それ以来男はどんな女相手でも本気になることができなくなった。
大事に思ったら最後、失くしてしまったらと思うと恐ろしくて仕方がねぇんだ。」

もしかして…

私は話しながら目が泳いでいる義兄を布団の陰からこっそり見つめつつ思った。

その男の人は…

「そうして1年ぐらいたった頃だったかな。ある日その男の親父が、『妹だ』と言って
知らねえ女を連れてきた。親父が死んだ友人の娘ってことで家に引き取ったんだ。
だが、男は気に入らなかった。それまでずっと1人息子だったんだ、今更妹だなんて、という気もあったが、その妹と言うのが…
気弱そうで自分に自信のなさそうな情けない面をした奴でまるっきし
男の好みじゃなかった。
何かにつけてビクビクしてばかりの様子もいちいち気に障るし、
こんなのが自分の妹になるのかと思うと 男はますます腹が立った。」

…あー、やっぱり

にーさんは…

私は布団に顔をうずめてじっと義兄の次の言葉を待った。
そろそろ頭がボンヤリしだしたかも。

「だが、」

義兄はまた言葉を続ける。

「男はすぐにこの妹が外見だけではわからない奴だと気がついた。
何故かわかるか?」

私は首をかすかに横に振った。
あー…意識が薄なってきとうわ。

「その妹はな、自分の兄となる男を見た途端に不吉なもんを見たような
顔をしやがったんだよ。」

義兄は薄く笑った。
苦笑した、とも言うかもしれんが。

「とんだ女じゃねーか、緊張しまくってる癖にこれから一緒に暮らす相手に向かってしょっぱなから敵意むき出しにしやがるなんてな。
で、男は思った。こいつは外面よりも面白いかもしれない、ちょっとは相手してやる価値がありそーだってな。」
「当たったん、その予感?」

寝ぼけた声で私が尋ねると、義兄はかすかに肯く。

「充分すぎたぜ。男が無理だとわかっててわざと要求したことでも必死で食らいつくし、
男がいくらなじろうが厭味を言おうが反抗的な目をしながらも音を上げることもしねぇ。
何度も馬鹿にされて粗雑に扱われて『嫌いだ』と連発するくせに、次の瞬間には男の側にいる。」

ここで義兄はとんだお人よしだな、と笑った。

「男はだんだん妹が気に入って常に側においておくようになった。
置いておかないと、前の女のように先に逝ってしまいそうで不安だった。
…馬鹿馬鹿しい話だがな。だけど妹の方は鈍感でお呑気で
丸っきり兄のことなんざわかっちゃいねぇ。
今でもその馬鹿妹は兄貴が自分を嫌ってると思ってる。」
「ふがっ…あふぅ…」

一挙に襲ってきた眠気に私は日本語を話せなかった。

「あんだ、。眠くなってきたのか?」

義兄の声が遠く聞こえる。

「ふぎい…」

私は返事をしようにも完全に日本語が崩壊している。
もう目を開けていられなかった。

「ゆっくり寝てろ。」

あれ…何か頭なでられてる気ぃする。

「朝になったらちゃんと起きろよ。」

わーって(わかって)ますって…

「おやすみ。」

ふぁーい………………。

私の意識はもうほとんど闇に飲み込まれていた。
でも一瞬、ほんの一瞬だけ、私の目は義兄がいつになく優しく笑っているのを捉えた。



そんで次の日は休日。

「ふあ〜あぁぁぁぁぁぁぁ。」

私は盛大な欠伸と共に目を覚ました。

「品のねぇ欠伸してんじゃねーよ。」

……………………。

「うわぁっ?!」
「あんだ、そのバケモンを見たよーな反応は。」

だってバケモンが…じゃなかった。

「にーさん、何でまだおるんよ?!」
「一晩中いた。」

何ーーーーーーーーーーーー?!?!

「文句あるか?」

大有りです。だってビビるもん。

「つーか、何でそんなことしたんよ…」

訳がわからなくてパニックモードの私の様子に気づいているのかいないのか義兄殿はしれっとしてこう言った。

「寝つきが悪ぃ妹のためにわざわざついていてやったんだろーが、有難く思え。」

ムカ〜、どこまでも高圧的なやっちゃなー。
昨日の晩のあれは夢やったんちゃうやろか。

「まーそーだな…」

義兄は付け加える。

「…よくうなされてるの知ってたからな。」

…………へ?

「今何て?」
「二度と言うか、一度で聞かないお前が悪い。」
「聞き間違いかもしれへんもん!」
「だったら尚更知ったこっちゃねーな。」
「ケチ兄貴!!」

私が言うと義兄はアーン?と顔をしかめた。

「うるせぇよ。」
「あれ、珍しく怒らへんな?」

私が言うと義兄は言った。

「一晩中お守りさせられたんだ、これ以上朝から暴れられるか。」

それから義兄は図々しくも人のベッドに寝っ転がって寝息を立て始めた。

私はそんな義兄を放っておいて自分の支度に取り掛かる。

「今日は静かに過ごせそーやな。」

着替えながら私はそっとひとりごちた。

だが残念ながら現実は早々甘くなかった。
どーなったかというと、昼になってから起きてきた義兄に
『俺様にお守りをさせたんだからそれなりの礼を返せ』、と
膨大にも程があるテニス部用のデータ入力の手伝い(てゆーかほとんど私がやっているようなもん)をさせられる羽目になってしまった。

…ちくそー、結局こーなるんか。
青筋立ててパソコンのキーボードを叩いている私の横で優雅に
コーヒーをすすってやがる義兄を見ながら
私はもう金輪際、眠れない時に義兄を頼るもんか、と思った。

―眠れない夜― End



作者の後書き(戯言とも言う)

せっかくいい感じに進めても結局、オチをつけないと気がすまない私…

最早これは病気ですな。

次回でこのシリーズは完結します。最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

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